今日は、東京都台東区にある「旧岩崎庭園」に行きます。
旧岩崎庭園は、東京メトロ湯島駅から歩いて約10分ほどの場所にあります。ちょっとだけ急ぎ足で参りましょう。


湯島駅からの往復時間を入れると、90分くらいかかります。
旧岩崎家庭園とは?
旧岩崎庭園は、東京メトロ千代田線「湯島駅」から歩いて5分ほどの場所にある東京都立庭園で、園内の建物は、国の重要文化財に指定されています。
もともとは、三菱財閥創業者・岩崎弥太郎の長男、岩崎久弥氏が本邸として造ったもので、今でも洋館・和館・撞球室の3つの建物が現存しています。
今回は、湯島駅から旧岩崎庭園正門まで歩き、3つの建物を見学しましょう。

旧岩崎邸庭園は、施設維持のため建物内部の撮影は禁止です。今回は特別に撮影可能な日に伺っています。
旧岩崎邸庭園へのアクセス
湯島駅から旧岩崎邸庭園正門
旧岩崎邸庭園の最寄り駅は、東京メトロ千代田線「湯島駅」です。

湯島駅から地上に出たら、まずは春日通り沿いに歩きましょう。少し歩くと、大きなマンションが見えてきます。


詳しくは後述しますが、このマンションはよく覚えておいてください。
案内に従い脇道を進むと、旧岩崎邸庭園の正門が見えてきます。
正門から入場券売り場

正門を入り、さらに敷地内を歩きます。正門から建物までは約3分ほど。
ゆるやかな上り坂になっていますので、のんびりと歩きましょう。

しばらく歩くと「入場券売り場」が見えてきて。

すぐ横に、旧岩崎住宅の洋館が見えてきます。
入場券を購入して中に入りましょう。
撞球(ビリヤード)室
最初は、洋館の横に建てられた撞球室から見ていきます。

撞球室は、洋館とは別の離れに建てられています。
ここで岩崎久弥氏は、ゲストを迎えてビリヤードに興じていたそうです。

調度品は全て戦後に没収されましたが、建物は当時のままのものです。
小屋内に貼られた壁紙は「金唐革紙」といい、大変な手間を掛けて作られています。詳しい作り方は、洋館の二階に展示されていますので、後述とさせていただきます。

洋館とは地下で繋がっているため、雨の日でも濡れることなく撞球場に行き来できます。

撞球室は毎週木曜日の午前中のみ一般公開されていますので、ぜひ訪れてみてください。
洋館
次に洋館の中に入ります。

洋館は、1896年にジョサイア・コンドル氏の設計によるもので、明治に建てられた洋館としては珍しい木造建築です。
調建物自体は当時のままのもの。戦時中は、このあたり一帯が戦火から逃れたため、消失することがなかったようです。
中に入ってみます。

大階段ホール
大階段の脇に、大きな暖炉がありました。

暖炉は、木を燃やして使われたこともあるようですが、主にはガスで使用されていたそうです。

暖炉は、各部屋に設置されています。
さらに階段脇には、大きな柱が残されています。

この柱の模様は漆を乾かしたもので、とても手間をかけて作られています。

2階へ続く階段の下には、地下室への階段があります。
これは、先ほどの撞球室へと続く通路で。雨の日でも濡れずに移動できるよう考慮されています。残念ながら一般公開はされていません。
大食室
暖炉の脇には、大食堂として使用されていた部屋があります。

今はビデオルームとして使われており、旧岩崎邸庭園を紹介する映像が流れています。
実は洋館は居住用ではなく、来賓用として使用されていました。
そのため、洋館の細部には、来賓をおもてなすための仕掛けが施されています。

たとえば、職度から厨房へ続く扉をよく見ると、細かく刻まれていることが分かります。これは全開すると食事を用意する音が食堂まで漏れるため、上部だけを開けたり小窓のように開けたりできるよう造られています。
また、食堂の壁が赤いのは、食欲を推進するためで、壁の袖が他の部屋よりも高くなっているのは、談話が反響しやすくなるためです。

当時は、ここまで考えて設計された建物は少なかったそうです。
客室

大食堂の隣は客室です。
食後はここで少し休んだ後、撞球室へ移動し、ビリヤードに興じていました。
婦人客室

ビリヤードよりも談話を楽しみたい婦人のために、専用の客室が用意されています。
この部屋は、婦人が好むようイスラム風に造られています。

私も、椅子に座っておしゃべりしてみたいです。
書斎
来賓室とは別に、書斎が用意されています。館の主であった岩崎久彌氏の机が置かれています。
農場に強い関心を寄せていた岩崎久彌氏は、小岩井農場の創業者でもあります。彼が創業した小岩井農場を題材に、小説家の宮沢賢治が多くの作品を生み出しています。
サンルーム

客室・婦人客室・書斎は、サンルームでつながっています。
天気のよい午前中は、明るい日差しが差し込みます。

階段を上がり、2階へ行きましょう。
建物の多くは、施設維持管理のため手を触れることはできませんが、階段の手すりは実際に触ることができます。手触りを楽しんでみてください。
2階

2階には、集会室と客室が用意されています。2階には、撞球室の壁紙として使用された板「金唐革紙」について解説されています。
高価な和紙に金属箔を貼り、版木を当てて凹凸文様を打ち出していたようです。

とても、手間のかかる作業ですね。
また、庭園に面した集会室からはベランダへ出られます。
和館
最後に和館を見ていきましょう。和館は岩崎家の居住空間として使用されていました。しかし、居住のために使っていた建物は大半が失われており、今は大広間1棟のみが残されています。


次之間・三之間
大広間の次之間・三之間は、売店・休憩所として使用されています。
旧岩崎邸庭園のガイドブックや、岩崎弥太郎氏にちなんだ、小岩井農場のお菓子などが売っています。併設された休憩所では、喫茶としても利用できます。


座敷席とテーブル席が用意されています。
広間
広間が当時の面影がそのまま残されています。床の間には、橋本雅邦が下絵を描いたと伝えられる障壁画が残っています。

かすかに富士の形を確認できます。
広間・次之間・三之間はふすまで区切られていますが、全て合わせると50畳の広さとなります。往年は、この部屋で宴会が行われていたそうです。
和館からは芝園に出られます。
最後に、芝園をゆっくり散歩して明治時代に思いを馳せてみてはいかがでしょう。

旧岩崎邸庭園は、戦後に敷地の大部分を没収されたため、15000坪あった敷地が、今では5000坪となりました。
どれくらい敷地面積が変わったのかというと、次の図のとおりです。

洋館2階のベランダから庭園を眺めると、遠くにマンションが見えますが、ちょうどその辺りまでが岩崎家の敷地だったそうです。
ここに来る前、春日通りを曲がって旧岩崎邸庭園に来ましたが、その場所にあったマンションです。
ここまで歩いてきた距離を考えると、とんでもなく広大な敷地だったことが分かるかと思います。

昔は洋館のベランダから、富士山が見えたそうです。
ちなみに、15000坪という敷地は東京ドームの敷地面積とほぼ同じです。右下には当時の表門のあった場所が記されています。
旧岩崎庭園が建てられた、明治時代に思いを馳せながら、ここから屋敷を眺めてみてください。
旧岩崎庭園のデータ
- 東京都台東区池之端一丁目
- TEL03-3823-8640(サービスセンター)
https://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index035.html - 開園時間:午前9時~午後5時
- 休園日:年末・年始
- 入園料:一般400円、65歳以上200円