今日は、東京都文京区にある「湯島聖堂」と「神田明神」に行きます。
湯島聖堂はJR御茶ノ水駅から約3分。そして神田明神は湯島聖堂から約5分の場所にあります。のんびり歩いていきましょう。
湯島聖堂と神田明神。今日は御茶ノ水の名所を合わせて参拝します
湯島聖堂と神田明神の注意点
最初に、湯島聖堂と神田明神に行くときの注意点を紹介します。
- 早い時間に探索する
- 願いごとを考えておく
- 小銭は多めに持っておく
以上の3点です。理由はいつものように、見どころを紹介しながら説明していきます。
湯島聖堂とは?
湯島聖堂は、御茶ノ水駅のすぐ前にある史跡です。
徳川綱吉が儒学の振興を図るため、元禄3年(1690)に聖堂を創建し、上野の林家私邸にあった廟殿と家塾を移転し建てたことで始まりです。
寛政9年(1797)には幕府の直轄学校「昌平坂学問所」を開設し、明治時代には、文部省や博物館(現在の東京国立博物館)、東京師範学校(現在の筑波大学)、東京女子師範学校(現在のお茶の水女子大学)などを設置。
その後も発展続け、日本の学問の伝統を受け継ぐ場所として知られるようになりました。
御茶ノ水駅から湯島聖堂
湯島聖堂はJR・東京メトロ丸ノ内線「御茶ノ水駅」が最寄り駅。駅から3分ほどあるくと「聖橋門」という入り口に着きます。
「聖橋口」から入っても良いですが、せっかくなので「正門」から入ることにしましょう。
正門へ行くには、聖橋横の階段を降りて、外堀通りを歩きます。
そのまま50メートルほど歩くと、左手に湯島聖堂の正門が見えてきます。
湯島聖堂を参拝
正門から中に入ると、すぐに「斯文会館」があります。
斯文会館は、事務局や講堂、売店などが入る建物で、売店には、湯島聖堂に関連する書籍が置かれています。
一通り見学したら、斯文会館横にある仰高門から中に入りましょう。
仰高門 -ぎょうこうもん-
湯島聖堂の閉門時間は、午後5時(冬場は4時)です。閉門時間を過ぎると、仰高門が閉ざされ、入れなくなります。時間に余裕をもって参拝するようにしましょう。
だいたい、閉門時間30分前までに来れば、ゆっくり参拝できまよ。
早い時間に探索する
湯島聖堂が閉門するのは午後5時(冬場は4時)です。意外と早いので注意です。また、人通りも多い方ではありませんので、なるべく早めに訪れるのがオススメです。
孔子銅像
中に入り、つきあたりまで行くと、右側に巨大な像があります。
これは孔子の銅像で、昭和50年(1975)に中華民国台北市のライオンズ・クラブからの寄贈されたものです。
孔子の銅像としては世界最も大きさい銅像です。
世界最大の孔子銅像が、屋根もない場所に置かれていることに驚きます。
さらに進みます。ゆるやかな坂を上がりましょう。
入徳門 -にゅうとくもん-
坂を上がると、右手に大きな門が見えてきます。
この門は「入徳門」といい、宝永元年(1704)に造られたもの。多くの建物が関東大震災で焼失した湯島聖堂において、当時のまま残された貴重な建物です。
ゆっくり見学しながら中に入りましょう。
段差がきついので、ゆっくり上ってください。
杏壇門 -きょうだんもん-
階段を上りきったところには「杏壇門」があります。
杏壇門は、これまでの門に比べて間口が広く、黒く塗られているのが特徴です。
建てられたときは、朱色などで彩色されていたそうですが、寛政9年(1783)の改修時に黒塗りの門になりました。
大成殿 -たいせいでん-
杏壇門をくぐり、中に入ると広場に出ます。
広場の正面には「大成門」があります。大成とは中国にある孔子廟の正殿の名称で、ここ湯島聖堂でも、正殿として使われています。
他の建物と違い、中国風の外観です。
前述のとおり、湯島正殿の建物は、大部分が関東大震災で消失してしまいました。今の大成殿も、昭和10年(1935)に再建されたもので、鉄筋コンクリートで造られています。
それほど古いもの建物ではありませんが、歴史を感じます。
大成殿は土日・祝日と年末年始に内部が公開されているので、是非入ってみてください。
建物の中では、孔子尊像及び四配像や額や掛け軸などを見学できます。
湯島聖堂から神田大明神へ
湯島聖堂を参拝したら、次は神田明神に向かいましょう。
杏壇門横の階段を上ると、聖橋門に続きます。
聖橋門を出て右に行き、大通りに出ると神田大明神の鳥居が見えてきます。
神田明神とは?
神田明神は東京の神社の中でも特に古い神社です。社伝では、天平2年(730)に、出雲氏族で大己貴命の子孫・真神田臣(まかんだおみ)が創建となっています。
嘉元年間(14世紀初頭)に、平清盛の祟で疫病が流行ったときは供養を、慶長5年(1600)に、徳川家康が関ヶ原の戦いに向かったときは、祈祷が行われました。
江戸の伝統文化を保ち、東京を守る神社として親しまれており、東京~神田、日本橋、秋葉原、大手町・丸の内など、108の町々の総氏神様として親しまれています。
神田明神の正式社号は?
実は、神田明神は正式名称ではなく、本当は「神田神社」と言います。昔は神田明神と名乗っていましたが、明治に入り、神社が国家の管理下に入り社号を改めたのです。
ただし、一般的に神田明神と呼ばれることが多いため、当サイトでもそれに倣います。
神田明神を参拝
最初に、神田明神の境内図を見てみましょう。
ご覧の通り、神田明神の境内には、たくさんの建物があります。
御神殿や祭務所はもちろん、だいこく様やえびす様の尊像や、江戸最古の地主神「江戸神社」などなど。
代表的な見どころを紹介していきましょう。
本殿、幣殿、拝殿など、いくつかの建物は、国の登録有形文化財(建造物)に指定されています。
隨神門
隨神門は、大通りに面した鳥居の中にある、最初の門です。
門の外側正面には隨神像を配し、右は豊磐間戸神、左は櫛磐間戸神が安置されています。
また、門の外周りには、朱雀・白虎・青龍・玄武の四神、内側には因播の白兎などの彫刻が飾られています。
大通りからでも目を引く豪華さは、多くの人の目を引きつけます。
思わず、写真を撮っちゃいますね。
御神殿
広い敷地の中央には「御神殿」があります。
残念ながら御神殿は何度か消失しており、現在あるのは、昭和9年(1934)に再建されたもの。建てられた当時の最新技術、鉄骨鉄筋コンクリートで造られています。
建物の構造は、本殿、幣殿、拝殿などが繋がる権現造りです。昭和初期に造られた神社としては、比較的新しい様式が採用されています。
大己貴命(おおなむちのみこと)
御神殿を正面に、左手を向くと大きな大己貴命の御尊像があります。
大己貴命は、大国主命(おおくにぬしのみこと)という別名で、七福神のだいこく様としても有名です。
国土開発、殖産、医薬・医療に大きな力を発揮したとされ、国土経営、夫婦和合、縁結びの神様として崇敬されています。
少彦名命(すくなひこなのみこと)
大己貴命像の横には、少彦名命の御尊像があります。少彦名命は七福神のえびす様として知られています。
一般的にえびす様というと、大きは身体に恵比寿帽を被ったイメージですが、神田明神のえびす像は「海のかなたから、小さな木の実の殻の舟に乗って来臨された」という神話を元に造られています。
だいこく様と力を合わせて、日本をお作りになりました。そのため、国土開発・事業繁栄、病気平癒・健康増進のご利益があるとされています。
願いごとを考えておく
ご覧の通り、湯島天神には様々な神様が祀られています。だからといって、あれもこれもと願いごとを欲張ってはいけません。本当に叶えてほしいことを決めて参拝したほうが、願いごとはきっと叶いやすいですよ。
小銭は多めに持っておく
願いごとにはお賽銭がつきものです。湯島天神にはたくさんの神様が祀られています。たくさんお祈りできるよう、小銭は多めにもっておくことをおすすめします。
江戸神社
御神殿と鳳凰殿(神札授与所・参集所)の間をぬけると、いくつかの神社が並んでいます。奥側には大江戸最古の地主の神・江戸神社があります。
日本三大祭の一つ「神田明神祭」では、千貫神輿が宮入し、盛大な祭りが開かれます。
獅子山
御神殿のすぐ右側には、獅子を中心とする石造物があります。
造られたときは、2頭の親獅子と1頭の子獅子が据えられていました。しかし、関東大震災で子獅子を紛失し、しばらく親獅子2頭のみでした。
今上天皇陛下が御即位した際も、子獅子を新調し、今の形になりました。
湯島聖堂と神田明神
以上、駆け足ですが、湯島聖堂と神田明神を参拝してきました。
湯島聖堂と神田明神は、直線距離にして約200メートルほどしか離れていません。
上手に見どころをおさえれば、60分以内で見て回ることも可能です。
今回の記事を参考に、じっくりと堪能してみてください。
湯島聖堂・神田明神を観光するバスツアー
湯島聖堂・神田明神をはじめとする観光地へや、バスツアーを利用するのがオススメです。
東京周辺は多くの名称がありますが、バスツアーなら専門のガイドがついて、案内付きで効率よく回れるからです。
老舗のクラブツーリズムなら、厳選されたバスツアーが7,000コース以上も用意されています。
行きたい場所、日程に合わせて好きなツアーを選べます。
きっと、あなたにピッタリのツアーがあるはずです。
下記バナーをクリックして、今すぐクリブツーリズムの「おすすめバスツアー」へ出かけましょう。
都内の有名観光スポットを一日で周遊するバスツアーから、関東近郊の名所をホテル・食事込みで出かける良好ツアーまで用意されています。
見ているだけで楽しいですよ。